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犬 ヒトにあう

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P1050059b散歩してると、犬の苦手な人や嫌いな人にも遭遇しますよね。
近所の大規模マンションで外回りの仕事をしてる人たちの中にもひとり…
すれ違う時、他の人たちは挨拶を交わしてくれるのに、その人だけはこっちが挨拶しても返そうともしない。
ブスーッと黙ったままで、疑わしそうにこっちの動きを見張ってる。
犬がウンチするんじゃないか、そして飼い主はそれを取らずに行っちゃうんじゃないかって?

糞の始末をしない飼い主が、おはようございますって言うと思うんですかね?
そういう人は朝早くとか夜遅く、見張ってる人が居ない時に散歩してるって思わないんですかね?

そしてビンゴがちょこっと肢でも上げようもんなら、コラッと怒鳴る。
こっちは草や土の上でも、更には肢上げただけで何にも出てなくても水かけて歩いてるのに、当然そんな事は見てない。

おまけに、同じ犬連れでも通りがかりの人間(例えばあのにま)にはエラソーな態度を取るけど、自分が働いてるマンションの住人に対しては何も言わずに黙ってるらしい。
それから、他の同僚たちが居合わせた時も、やはり何も言わないらしい。

言い返したいのはやまやまながら、犬が与えてくれる幸せとは無縁の可哀そうな人と思って黙ってやり過ごすしかない、そう思ってたらですね、 先ごろその人が、何を間違えたんだかマンションの住人に飼い犬のオシッコで注意?をしてしまい、「その言い方はなんだ」と逆ギレされたらしい、可哀そうに!?
それはまあ、犬好きから見ても、そこはちょっとマズイんじゃないの?というような場所だったらしいんだけど。
そのせいかどうか、すれ違う時の目線が少し弱くなったような??
挨拶なしでブスーッとしてるのは相変わらずだけど。

まあね、自分だって苦手な動物はいるし、それを自分の家に置こうとは思わない。
でも天下の公道(厳密にはマンションが管理してる公開空地ですが)で、人が自分の嫌いな動物を連れてるからって、その行動を見張ったり、イキナリ怒鳴ったりしませんよ。

世の中犬の嫌いな人も居る、だからマナーを守って迷惑をかけないように…って言われると、いかにも尤もな感じがするけど、守ってるのに守ってない人の分まで叱られたり、小さくならなくてもいいと思うし…
それに、じゃあ犬の嫌いな人は「世の中犬好きの人もいる」っていう事を理解しなくてってもいいのか? って思いません?
お互いに理解できないまでも尊重し合い、我慢し合って、最低限の礼儀は守るべき、それがマナーじゃないの?
個人的には、挨拶もできないような人にマナーなんて言われたくないよな…っと思うけど、どうでしょう?

…というような事をですね、グダグダ書いてたら、先日、その犬嫌いの人を久しぶりに見かけたのです。
休憩時間らしく近所の公園で一服中。(ちなみに、いつもひとりで休憩してる)
…と、吸い終わったらしく、立ちあがって公園を出て行こうとする時…ん? 今たばこをポイ捨てしなかった?
携帯灰皿に仕舞ったようには見えなかったけど…

その場所に着いてみると、公園の植え込みの陰にパイプのようなものが地面から20cmほど突き出ていて、中に水が溜まっているところに、同じ銘柄の煙草の吸殻が何本も浮いてるじゃないですか! 
仮設灰皿?? 
大雨が降ったら溢れ出すんでないの?

言っておきますが、そこはマンションの管理地ではなく(…なのでその人も、ビンゴが肢上げるのを見ても怒鳴っては来ない。けれど、こっちは近くにいると何となく落ち着かなくて、殊更ボトルを手に持って歩いたりする…(・・ゞ)、それと隣接した、そして地域の人たちがいつも綺麗に手入れしてる一般の公園。

ちなみにその人、掃除は完璧なんだそうですが、なんの事はない、要は自分の家だけは綺麗にして、他は汚してもいいというエセ綺麗好きじゃないか、 正体見たり!

と意味もなくひとりで勝ち誇ったのでしたが…ほんとに意味ないね、これ…

犬嫌いの人がみんなこういう人だとは思わない。
犬好きの人にも色んな問題があるのは確か。

でも世の中どうも、犬嫌いのマナーの方が、犬好きのマナーよりも幅を利かせてる感じがするのは、ヒガミだろうか?
犬嫌いの人の方が声が大きいのか?

写真は、前にも触れた事がある「人 イヌにあう」という本。
著者のローレンツはノーベル賞を受賞した動物行動学者で、今 Wiki で確認したところによるとオーストリア人(1903-1989)。
その最初の方に、古代、人と犬の祖先(ここではジャッカル)との共同生活は、恐らくこんな風に始まったのではないかという、彼の想像が綴られている(「事の起こりは」)。

最近では、お互いが一緒に居る事によって、それぞれ「共進化」を遂げたとされているヒトとイヌ、更に最新の研究によると、その共同生活の起源は今まで考えられていたより更に2万年古く、古代のホモ・サピエンスは犬の祖先と共同で狩をするようになったからこそ、ネアンデルタール人との生存競争に勝てたのではないか…とも考えられるらしい。
とするとつまり、現代の人間があるのは犬達のお蔭じゃないですか?(犬嫌いの人もね)

その犬に対して、現代社会の色々なマナー、どうもあんまり優しくないというか、犬というものを知らないで作られてるような気がするのですね。
その他虐待や飼育放棄、殺処分などという話が後を絶たないし…

ヒトは犬に出遭って進化発展を遂げたけれど、犬はヒトに出遭って果たして本当に良かったんだろうか?????

長くなるのでマナーの話は又別の記事にします。
最後に、「人 イヌにあう」の最後の部分、今読み直してグッと来たので抜粋引用します。「続き」に入れておくので、興味のある方、読んでみて下さい。

~~~仕事の妨げになる客を、私が心にもなく歓迎するとき、スージは、私のことばにはいささかも欺かれず、侵入者に向かって容赦なく吠えたりうなったりする(中略)。そのとき、このちびは、ティトーの遺産である私の心の奥深く隠された考えを読み取るすばらしい能力を示すだけでなく、ティトーになってしまう。(中略)乾いた牧草地で鼠を追いかけ、(中略)先祖ピギーのあくなき情熱をみせるとき、彼女はピギーになる。ときどき練習する「伏せ」の訓練のとき、彼女は、立ち上がっては、曾祖母のスタシが十一年前に発見したのとまさに同じ、うわべだけの弁解をしてみせる。そしてスタシのように、水たまりという水たまりを嬉々としてころがりまわり、全身泥にまみれたままで無邪気に家に入ってくるとき、彼女はスタシになる。スタシの生まれ変わりになるのだ。さらに、静かな川ぞいの道、ほこりっぽい田舎道、そして都会の通りを、私とはぐれないようにあらゆる感覚を緊張させてついてくるとき、彼女はすべてのイヌになる。最初にジャッカルがはじめて以来、いつでも主人について歩く、すべてのイヌになる。愛と忠節のはかり知れぬ総和となるのだ。(小原秀雄訳)


カテゴリー:飼い主ネタ

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